山釣りとヒグマ対策 ヒグマの生態 ヒグマ事件の記録 北海道日高MENU
1904年〜1933年開墾時代の30年間 |
■ヒグマの生息圏全道の95〜85%。 ヒグマの生息圏が全道の90%を占めていた明治時代の記録は凄まじく、目を覆うばかりの人身事件が続発している。記録を読んでいると「人間とヒグマの戦争」と呼びたいくらい背筋が寒くなった。 土葬した遺体を5人分も掘り起こし、食ったという記録さえあった。この時代のヒグマは、人間を襲って食べる恐ろしい獣のように思うが、よそ者だった人間が、ヒグマのテリトリーを次々と犯した結果、山のオヤジは怒り狂ったように人間を襲ったに過ぎない。 ■死者103人、負傷者228人、 ■年平均死傷者11人 |
1955年〜1965年 11年間 |
ヒグマの生息圏全道の75〜70%。死者15人、負傷者27人、年平均死傷者5.8人 |
1970年〜1991年 22年間 |
ヒグマの生息圏全道の50%。生息数1,900〜2,300頭。 件数39件、死者16人、負傷者27人、年平均負傷者1.95人 |
最近の人身事故 |
最近の人身事故は、4〜5年に1〜2人の死亡事故、毎年1〜2人の傷害事故がある程度。これを見る限り、人間社会の方が遥かに危険度が高いと言える。それは、ヒグマがむやみに人間を襲ったりする動物ではなく、むしろ冷静に人間を避けてくれているからだろう。 しかし、1999年5月上旬、木古内町で釣り人が襲われ死亡した事件が発生した。さらに現場付近に山菜採りにきた女性が重傷を負った。これは、以前に現場付近に入った人が、ゴミの始末をせず、人の食べ物に執着するようになった熊ではないかと言われている。さらに、事故にあった釣り人は、熊避けスプレーや山刀を所持したいなかったという。もし、積極的な自衛対策をとっていたら助かったかもしれない。事実、女性2人は、カマを持っていたため死から逃れることができたのです。 |
被害者の行動 |
91年5月までの43件の事例分析によると、 ア.猟師がヒグマに襲われた件数 14件(33%) ヒグマ最大の敵 イ.山林作業(下草刈、除伐、測量等) 15件(35%) テリトリーの破壊 ウ.山菜採り 8件(19%) 出会い頭 登山、釣り、巡視、畑作などは、各々1件のみで極端に少ない点も注目すべきことだ。猟師や山林作業は、ヒグマにとって敵であり、出会い頭に襲う行為も含めて、ヒグマの自衛的な行動と見るべきだろう。 |
我が国登山史上最大の悲劇:日高山脈:福岡大学ワンダーフォーゲル部事件 |
1970年(昭和45年)夏、ヒグマによる悲惨な事故が、日高山脈・カムイエクウチカウシ山で起きている。3名死亡。 昭和45年7月25日、部員5人一行は、カムイエクウチカウシ山・九の沢カールに設営中のテントでヒグマが突然現れる。この時は、ザックの食料を食べられただけで済んだ。 同26日の朝、またヒグマが出現、テントに爪をかけ攻撃してきた。5人は、ヒグマと引っ張り合いしたが、あえなく敗退、山頂に向かって逃げた。 2人は救助要請に向かった。八の沢で北海学園のパーティと出会い、ハンターの出動を依頼し、テン場へ戻る。残りの3人は、ザックとテントを回収する。 ここで、またまたヒグマが現れる。2人は、鳥取大学のテン場へ助けを求めて走る。だが、ヒグマはテン場を離れない。3人は、やむなく下山せざるを得なかった。途中、戻ってきた2人と合流、鳥取大学のテン場へ向かう途中、最悪の事態へと発展してしまった。 逃げる途中、ヒグマに襲われ、全員がバラバラになってしまった。そして、2人がヒグマの餌食になってしまったのだ。鳥取大学のパーティは、2カ所に焚き火をして彼らを待ったが、3人は暗闇をさ迷い、岩場でビバーグせざるを得なかった。 同27日の朝、濃霧の中を下山開始、その直後、執念深くなったヒグマが出現、3人目の犠牲者となってしまった。 2日後に、このヒグマは射殺された。 |
教訓:悲惨な事故は、ヒグマに対する無知、無対策にある |
@ヒグマの生態や習性について全く知識がなかったこと。 A緊急事態を甘くみて、下山するタイミングを失ってしまったこと。 Bヒグマに奪われたザックとテントを回収したことは、ケンカを売るのと同じこと。 C荷物を諦めて、すみやかに撤退すれば、この悲劇は防げたはず。 ■最初、熊は人を追跡せず、食料を漁っただけである。明かにザックの中の食料が目的であった。 ■彼らは荷物の争奪を二度にわたって展開。クマはこれに怒り、徹底的に排除行動に及ぶ。熊と荷物の争奪を繰り返すことは、自殺行為である。 ■熊の危険なシグナルは何度もあったにもかかわらず、適正な行動をとらなかったのが最大の原因である。 |
釣り人を襲った事件:大成町宮野事件 |
1977年、釣り人がヒグマに襲われ殺害された事件。 昭和52年9月23日、通称炭鉱の沢へヤマメ釣りに出かけたが、突然ヒグマと遭遇。道路に止めていた車まで逃げたが、ロックされた車のドアを開けることができず、ヒグマに追われる。車の周囲をグルグル回りながら逃げたが、ついに捕まりヒグマの餌食になってしまった。 そこを通りかかった運転手は、人間を引きずってゆくヒグマを目撃、「助けてくれ〜!」と叫ぶ声を聞いたが、どうすることもできなかった。翌日、このヒグマは射殺された。 ■明かに人食い熊にやられた。これは、熊情報を無視した行動から発生したのか、それとも熊情報の確認を怠ったからであろう。 |
山菜採りを襲った事件:風不死岳事件 |
昭和51年6月、支笏湖南岸の風不死岳で、2人殺害、3人が重傷を負う悲惨な事件が発生した。 ネマガリタケを採っている最中、ヒグマに襲われ重傷。翌朝、山麓で山菜採りの人がヒグマに襲われ重傷を負った。北海道県警をはじめ関係機関は、一斉に警報を発令し厳重注意を呼びかけた。 ところがその4日後、この警報を無視した11人がタケノコ採りに入った。死者2名、重傷1名の大惨事を起こしてしまった。 このヒグマは、その日射殺されたが、ハンターに向かって猛然と襲い掛かってきたという。 ■悲劇の教訓 @ヒグマのテリトリーに、無音で侵入したこと。 A警報が出されていたにもかかわらず、それを無視して入山したこと。それは、自殺行為に等しい。 |
猟師への襲い方 |
発砲した人間を記憶し襲う。 ア.手負いの熊が、木立の陰やヤブに隠れ襲った事件 6件 イ.至近距離での発砲に対して襲った事件 3件 ウ.冬篭りの穴から追い出そうとして襲われた事件 1件 オ.子グマを襲ったら、母グマが襲ってきた事件 1件 |
一般人への襲い方 |
最近22年間で25件 ア.走って逃げたら襲った事件 9件→走って逃げることは自殺行為 イ.冬篭り穴に接近し襲われた事件 4件 ウ.人が逃げずに対峙したにもかかわらず、ヒグマの方で襲いかかってきた事件 4件 |
攻撃部位 |
人間の抵抗の武器は手足であることから、手足が最多。次に頭顔部が多い。 |
時季別件数 |
4月〜6月 18件、7月〜8月 9件、9月〜12月 13件、1月〜3月 3件 猟期や山菜・きのこのシーズンである春と秋に集中している。特に、5月下旬から7月上旬は、熊の発情期とも重なり、最も注意しなければならない時期だ。 |
ヒグマの習性と行動 |
@狙った獲物は、執拗に追い掛ける。 A手に入れた獲物に強い所有本能を示す。 B獲物があるうちは、その周囲を絶対に離れない。 C飽食していても、一旦味をしめると何度も襲う。 D焚き火を恐れず、平気で近づき攻撃する。 Eテリトリーを侵す者に対して、執拗に報復する。 F背中を向けて逃げたら、本能的に襲い掛かる。 G食べ物や人間の味を覚えると、変質的に人間に近づき襲う。 H一旦姿をくらまし、突然、逃げる人の前に立ちはだかるなど、知能の高い攻撃をする。 I赤色に強い関心を示す。林内の赤系統の標識に被害が多いという。 J獲物を土中に埋め、木の葉で隠し、後日それを食べに来る。 |